マシアスは僕のそばに寄り、すぐに治療を始めたようだった。
悪い、マシアス。でも、もう疲れて目が開けられない。
だが、眠くはない。
治療を受けながら、ネドの頭にさまざまな思考が洪水のように湧き出ては消えていった。
僕がケネス星の後継者であることが、公になってしまった。
ま、いい。いつかはそういう時がくると思っていた。
事件の事が頭をよぎる。
どうして他星は身分という考え方を捨てることができないのだろう。
ケネスは対等であることが、生きているケネス星人の考え方の根幹にある。全てのケネス星人の考え方の根幹にある。
科学技術は時とともに発達していく。しかし、他星を見ると、身分制度がいつまでもなくなっていかない星が多数ある。
ケネスは徹底して平等な社会を作った。
おじいさんが総統であるのも、その前は王であったのも、ケネス星人はその方が社会がまとまる、争いを招かないと考えて、王家をあえて残したのだ。
人間の傾向を徹底的に分析して熟慮した結果、独裁を防ぐさまざまな制限を設けて、あえて残したのであった。
そして今のケネスがある。
ケネスはえばることを誰にも許さない社会を作った。
いや、まてよ。
この根幹に来るものは、いや、この根幹にあるものはこれだ。
全てのケネス星人が行動を起こすときの、思考の第一優先に来るものは、これだ。相手が困ることだろうか→であればできない。相手が悲しむだろうか→であればできない。これをすれば相手が気の毒なことになるだろうか→であればできない、ということである。
ケネス星では、この考えが、行動を起こすか起こさないかの第一優先に来るのである。
つまり今回の場合は、えばれば相手が不快になるからできない、相手が嫌だと思うことだから、えばれないのである。この選択肢は取れないと、自分の行動に制限がかかるのだ。絶対にできないこととして。
ゼルダの王が憎しみを持たれているのも、根本的にこれができていないからだろう。そう、これがわからない最大の理由は、人間の平等という観念をこの王は持っていないからに他ならない。そのことが更に、人を精神的にも肉体的にも憎しみを持たれるほどに、人を傷つける行動を助長していっている。
ケネス星人にとって、この考え方(平等および、行動する場合の第一優先に来るもの、行動の指針となるもの)は人間としての基本としてすべての星人に同じ心の基準として根付いている。
ケネスでは、これができて初めて、共同で生きていく人間としての基礎に立つ。
ケネスでは犯罪は決して起きない。相手が困ることだからである。相手が悲しむことだからである。
今、ネドは改めて僕らケネス星人はすごいと思った。教育プログラムという、すごいものを作ったのだと、畏敬の念を持ったのだった。
そうか、そうか。そうか。
ネドはマシアスが治療が終わったのをぼんやりと感じながら、ついにそのまま眠りに落ちたのだった。